何故「君生き」はプロモーションをしなかったのか ネタバレあり

結論から言えばこの映画には過度なプロモーションやグッズ販売に対する批判的なメッセージが込められているので、そういった手前派手な広告を打つと矛盾が生じるのでプロモーションはやらなかったということです。以下駄文

 

前回「君たちはどう生きるか」の感想を書いた。

その中でこの映画はジブリ後継者問題とそれを踏まえたカラーへのメッセージであると書いた。

ところで君生きを観て感想を書き、その後に他のレビューを軽く読んだところ、自分の様にジブリ後継者問題と絡めたレビューは見当たらなかった。皆あの突飛な展開を頑張って読み解こうとしたり、ただ流れてくる映像を楽しんだり、とにかく映画の内容そのものについて話しており、それがなんとも純粋に思えて自分は嫌な鑑賞方法しか出来ないものなんだなと後ろめたい気持ちになった。また岡田斗司夫氏の解説動画も金を払ってメンバーシップに加入し(プレミアムには入らなかった)観てみたが、彼も映画の内容そのものについての解説に極力留めるようにしていた。恐らく彼がシンエヴァの解説動画(マリ=安野モヨコ説をゴリ押しした)を出したときにそれがバズり、彼の解釈があたかも正解のような扱われ方をされたので、公式から「迷惑だ」と言われたことを気にしてのことなのだろう。

だが、主人公の名前のマヒト(眞人)が訓読みすればシンジン(≒碇シンジ=庵野秀明)となり、その彼が大叔父から「この世界を管理する役を引き継いでほしい」といわれる映画の内容はどう見てもジブリ後継者問題を描いたものである。

そしてここでこの記事の題目の話である何故君生きの広告を打たなかったのかにもつながる。そういうマーケティング手法だという話をしている人もいるが、宮崎駿が「あえて情報を絞ってSNSでバズらせたい」なんて考えるはずもないだろう。鈴木敏夫ももっと王道の宣伝方法を行う筈だ。では何故なのか?

それはプロモーションを打つことと映画のメッセージが矛盾するからである。

前回の感想記事でも書いたが、君生きには業界人を批判するシーンがある。吊り上げた魚の内臓を食べ活力を得たワタワタが天に昇って現世に転生しようとするが、ペリカンの群れが昇っていくワタワタを食い荒らすというシーンの事である。それぞれ魚(ポニョ)、内臓(内容)、ワタワタ(観客)、ペリカン(業界人)というメタファーであり、つまり映画の内容を見て元気になり現実に戻る観客を業界人はグッズやら何やらでさらに金を巻き上げ食い物にしようとしているという話なのである。これは昨今カラーがやっている鑑賞特典を何度も出す事で動員数をかさ上げし、結果として観客から無駄に金をとっている事への批判なのであろう。そしてこういうメッセージを出している手前、君生きが大々的なプロモーションを行うのはマズいのであり、だからアオサギ鈴木敏夫)の絵一枚のポスターしか出さず、グッズも販売されていないのである(パンフレットは後日発売されるらしい)。

その点を踏まえると、この映画は確かに説教映画なのかもしれない。

君はどう生きるか感想 ネタバレあり

結論としてはジブリを解散させた宮崎駿から、カラー社長である庵野秀明に対するメッセージ(そしてアンサー)といった内容だった。

つまり庵野ジブリを継がせたかった宮崎駿が、それを諦め、カラーがジブリのようにならないようにというメッセージが込められた作品だった。

 

主人公のマヒト(眞人)=庵野秀明(シンジン = 碇シンジ

父親=宮崎駿風立ちぬ堀越二郎

実母(ヒミ)=ナウシカ(火巫 = ヒミ= ヒメ=ナウシカ姫)※卑弥呼のヒミかも

継母(夏子)=風立ちぬの菜穂子

アオサギ=鈴木敏夫

塔と周りの建物=ジブリ

キリコ=安野モヨコ(これは違うかも)

大伯父様=ジブリ社長としての宮崎駿

セキセイインコ=ジブリ存続派

ペリカン=業界人

ワタワタ=観客(俺たち)

生まれた弟=宮崎吾朗

 

・繰り返し出てくる宮崎駿の過去作のメタファー

 

戦時中(風立ちぬ

入院している母(トトロ)

火事の中走る(火垂るの墓

田舎へ引っ越し(トトロ)

飛行機工場の経営者である父(風立ちぬ

馬鹿でかい屋敷(千と千尋

継母が神隠し(千と千尋

母探し(母を訪ねて三千里)

地獄の墓の遺跡(もののけ姫のモロの住処)

広大な海と巨大な魚(ポニョ)

塔の外壁に取り付く(ラピュタ

並行世界につながる扉(ハウル

大伯父様の社長室(ラピュタハウル

姉(実母)が妹(夏子)を救う(千と千尋

 

・ストーリーとメタファー

 

0. 飛行機工場経営者の父と母のもとに生まれる→ジブリ経営者の宮崎駿の元で風の谷のナウシカの作画に参加し、アニメ制作のキャリアを積む

1. 母親が火事で死に、田舎の屋敷に引っ越す→エヴァで燃え尽きたところに「風立ちぬ」のキャストでジブリに呼ばれる

2. 学校でいじめられて不登校になる→カラーに行かず引きこもる

3. アオサギに塔に来いと誘われる→鈴木敏夫ジブリに来て堀越次郎の声をやれと誘われる

4. 産気づく継母と上手くいかず、実母を恋しがる→エヴァ制作が上手くいかず、シン・ナウシカ制作を熱望する

5. 行方不明になった継母を探しに塔に入る→エヴァが作れないので風立ちぬの制作現場に入る

6. ペリカンから地獄の門に押し込まれそうになるがキリコに救われる→エヴァ制作で追い立てられ鬱になるが安野モヨコに救われる

7. 巨大な魚を釣りそれを切り分ける。身は黒い人、内臓はワタワタに配る→ポニョの興行収入を各所で山分けする。観客は映画の中身を見て楽しむ

8. 眞人は魚を食べたワタワタが天に昇って転生するのを眺める→映画を見た観客が喜ぶ姿を見て癒される

9. 天に昇っていくワタワタを食い物にするペリカン→観客から金を巻き上げることしか頭にない業界人

10. ペリカンを火柱で撃退する実母=拝金主義に対する批判

11. 焼かれて死にかけのペリカンのセリフ「この世界には魚も少ない、食べるものがない」→映画業界は売れるコンテンツが減った、もうグッズで儲けるしかないという嘆き

12. セキセイインコの群れ→ジブリを存続させたい関係者達

13. 大伯父様にこの世界を継いでほしいと言われる真人→宮崎駿ジブリを継いでほしいと言われる庵野秀明

14. 産気づいた継母から拒絶され、結界からも傷を負わされる→本当は吾郎にジブリを継がせたかった宮崎駿の本心。ジブリ後継者問題に足を踏み入れてしまった庵野への他からの批判。あるいはエヴァ制作で死の手前まで自分を追い込んでしまった庵野への警告

15. セキセイインコに囚われるヒミ→ナウシカ制作の権利を人質にとって庵野ジブリを継がせようとするジブリ関係者

16. ヒミを連れて大伯父様に直談判にいくも、それを断られヤケクソで積み石を切ってしまうセキセイインコ→後継者が見つからずヤケクソになったジブリ関係者

17. 崩れる塔から一斉に逃げ出すセキセイインコ→解散するジブリから他所に散っていくジブリ関係者

18. 現実に戻る際、ヒミと別れる主人公→結局ナウシカ続編の許可は庵野には降りなかった?

19. 13の積み石→宮崎駿監督の映画作品の数?カリオストロナウシカラピュタ、トトロ、魔女宅、紅豚、もののけ千と千尋ハウル、ポニョ、仮暮らし、風立ちぬ君たちはどう生きるか

20. セキセイインコからフンをかけられまくる父親→たつ鳥跡を濁しまくるジブリ関係者と恨みつらみを言われまくる宮崎駿

シンエヴァ感想その4 Ver1.01を観て ネタバレ有り

来場者特典の本目的で2回目を観に行った。

同じ作品を映画館で2回観るのは人生初。

本の内容はQの直前を描いた漫画とイラストが何点かあった。

映画の内容は2回目という事もあり落ち着いて見れたし良かった。映像の微調整のみという話だったが台詞回しやカットが自分の記憶と違う箇所があった。以下、相違点。

 

1. アスカがレイに対して自分達は碇シンジに好意を抱くようあらかじめプログラムされていると話していた(1回目観た時は冬月の独白だった気がする、自分の記憶違い?)

2. アスカが入ったエントリープラグが13号機からサルベージされ、その後ケンスケの家の近くに着地しているカットが追加(前もあった?記憶にない)

3. マリが活動停止してマイナス宇宙に沈んでいくネルフのヴンダーもどき3艦に対してさよならアダムス達と言った(前もあった?つまりアダムスは三体とも艦の主機に使われていてエヴァ9-12号機はアダムスではなかった。艦から光る羽が生えてたのはこれで納得)

4. 宇部新川駅の向かいのホームにレイ、カヲルに加 えてアスカもいた(これは前からいたかも)

5. ラストで大人シンジがマリの手を取って宇部新川駅のホーム階段を駆け上がって右に曲がるシーンが追加(前もあった?かなり重要なシーンだから覚えてるはずだけど...)

6. 同じくラストで宇部新川駅を引きで撮るシーンでシンジとマリが駅を走って出てくる描写が追加(実写とアニメ絵の合成。前もあった?)

 

1と2に関してはアスカがシンジから卒業してケンスケと一緒になるというわかりやすい話の流れができていて良かった。

4、5、6に関しては宇部新川駅のシーンの捉え方が自分の中でガラッと変わった。

以前は宇部新川駅のシンジ側のホームはエヴァの無い世界でレイやカヲルがいる向かいのホームはエヴァの有る世界と解釈していた。マリはシンジのDSSチョーカーを外す事でシンジをエヴァの物語から解放し、シンジとマリ(庵野監督とモヨコ夫人にも重なる)は新しい現実へ走り出すという結末だと捉えていた。

ところが、ホームの階段を駆け上がって右に曲がったということはシンジとマリもレイやカヲルそしてアスカがいる側に渡っているという事になる。

結論から言えば、宇部新川駅のシンジがいるホームはマイナス宇宙であり、マリはDSSチョーカーの発信によってシンジを発見する事が出来たという事だった。シンジがエヴァに乗ると宣言した時にミサトがDSSチョーカーを渡したのはそれを意図したものだったのだ。

そうなると、以前公式Twitterが「マリをモヨコ夫人と重ねる解釈はおかしい」という内容のツイートをいいねした事も腑に落ちる。公開当時シンエヴァはかなりメタな内容だったという感想が多くを占めていた中で、宇部新川駅のシーンも同じくメタ表現の強いシーンという解釈だった(庵野監督自身がモヨコ夫人の助けを借りて父親とエヴァから決別するというもの)。しかしこのシーンはシンプルにマイナス宇宙からシンジがサルベージされるシーンでありエヴァの物語にちゃんと収まる内容だったのだ。

 

他、気づいた事

• イマジナリーエヴァンゲリオンが歪な綾波レイ化して出てきた時(ゲンドウの歪んだ認知をリアリティある顔とアニメ調の髪の合成で表現していると思われる)、北上ミドリが「こんなの絶対変!」とツッコミを入れていた。たまにギャグっぽいところを入れるのは庵野作品に散見される(ガンバスターの搭乗ドアが蝶番式でギーバタンと音がするなど)。

• 来場者特典のイラストでカヲルがシンジそっくりの子供を肩車してレイと佇んでいるものがあった。これをカヲルとレイがゲンドウとユイの転生体と見るか、輪環の理から解放されたアダムとリリスの転生体と見るか。ちなみ二人とも目は閉じているので瞳が赤いかは分からないが描いた人が隠しているということはおそらく黒く、黒いという事はゲンドウとユイの転生だと自分は思う。

シンエヴァ感想その3(ネタバレ)

今日NHK庵野秀明スペシャルを見たので、いい機会だと思い感想その2を書いた後溜まった考えをまとめる。


黒波=風立ちぬの菜穂子

Qの完成後、鬱になった庵野が回復するきっかけとなったのは、風立ちぬで主人公である二郎の声優を演じた事だと言われている。風立ちぬで妻の菜穂子の死後、二郎は夢の中で菜穂子と再会し「あなた、生きて」と励まされる。これは宮崎から庵野へのメッセージでもあったのは明らかだ。つまりシンジが黒波の死によって鬱が寛解したのはまさに庵野が経験したことでもあったのだ(そして丁寧に描写された農業シーンはジブリへのオマージュとも受け取れる)。


渚カヲル=碇ゲンドウの父性

岡田斗司夫の解説で、シンエヴァ劇中でカヲルがゲンドウの服を着ていたり、ゲンドウが乗った13号機が立て膝をついたポーズがカヲルと被っていた事からカヲル=ゲンドウである事は明らかだという話がされていた。自分は気づかなかったがその通りだと思った。


庵野の父親=碇ゲンドウ

NHKの特集で庵野が自身の父親の話をするシーンがあった。庵野の父は仕事中の事故で片足を失っていた。庵野は「父は世の中を恨んでました。自分のミスでもない事故でどうしてこんな目に遭わなければならないのかと。そしてその恨みは自分にも向けられていました。」と語る。この喪失と世間への恨みは明らかに碇ゲンドウの設定と重なる。シンジ=庵野秀明という話はよく耳にしていたが、親までモチーフにしていたのは驚きだった。


ラストシーンの解釈

ここまでエヴァ庵野私小説的な話なのであればシンエヴァの最後のシーンはまた違った解釈ができる。庵野の生まれ故郷である宇部新川駅にてシンジの向かい側のホームで佇むカヲルとレイは生まれ変わったゲンドウとユイであり、庵野が憧れていた理想の親の姿であったのだろう。そしてマリがカヲルとレイを眺めているシンジに目隠しをしたりDSSチョーカーをあのタイミングで外すのはマリ=モヨコ夫人が庵野が持つ理想の親への執着から解放したと解釈できるだろう。

シンエヴァ感想その2(ネタバレ)

TV版、旧劇のテーマは「他者との断絶(そしてそれを乗り越える勇気)」だった。では新劇のテーマとは何だったのか。


それは「寓話からの脱出」ではないか。


何故、物語ではなく寓話なのか。その理由は既にTV版で完結していたものを新劇で復活させてしまったからだ(旧劇とコミックはTV版を補完するものだったので繰り返しではない)。


物語は繰り返されると寓話化してしまう。寓話化すると登場人物は運命が固定されてしまう。ウサギとカメの勝負は必ずカメが勝つように、カヲルは必ずシンジと仲良くなり目の前で死ぬ事が定められてしまう。


ではどうやってこのループから抜け出したのか。それは真希波マリを使った自己言及によるものだった。


マリが「イスカリオテのマリア」と呼ばれるならシンジはキリストであるし、それはエヴァの物語が寓話化されているという自己言及でもある。いい匂いやワンコ君という表現は死の運命とそれに縛られている事を暗示している。アスカに対するお姫様という表現は孤独の牢獄に閉じ込められて助けを待っているという事なのだろう。そして固着した運命に言及する事はそれを自覚し打破する事に繋がる。


アスカは旧劇、新劇を通して孤独に戦って最後はエヴァに食べられて死ぬ事を繰り返していた。しかしシンエヴァでは13号機に捕食される寸前にアスカのオリジナルと呼ばれる影に引き込まれ、その後精神世界内でシンジからの告白と相田ケンスケのサポートによって孤独から救済された。


レイはシンジをエヴァと補完計画に引き込む役を繰り返し担っていたが、破でそれに背いてエヴァに自縛しシンジを遠ざけていた。そしてシンジによって初号機から救出される事でその運命から逃れた。


ミサトは自身が母になり、かつての父をなぞるように子のために命を投げ打ってシンジに希望を託すことで父の呪縛から解放された。


そしてシンジはユイにより救世主の運命から逃れ、ゲンドウはユイとともに死ぬ事でユイの元に辿り着いた。


エヴァという寓話からの脱出はまたシンジを中心としたハーレムの解散に繋がった。アスカはもうシンジの横で復活せず、レイとカヲルは遠くにいてシンジを見ない。傍にいるマリも傍観者としての役割は終えているのでシンジの元を去ってしまうかも知れない。寓話から脱出するという事はその登場人物間の縁(えにし)が切れてしまうという事で、これが「さようなら全てのエヴァンゲリオン」に繋がる。そしてこれはエヴァ続編説に対する明確な答えでもあると思う。

シンエヴァ感想(ネタバレ)

マイナス宇宙での歪なCGとメタ表現について

前半の見事な3DCG映像から一転、マイナス宇宙に突入するといびつさが残る、まるでゲームの様な映像にウッとなった。おそらくゲンドウの認知の歪みを表現しているのだろう(巨大綾波や劇中劇など)。自分はヴェイパーウェイブ味を感じたし、映像作品として破綻しているのでは?と不安になった。また途中でタイトルロールや鉛筆描きもながれるなど旧劇のようなメタ表現も見られた。


真希波マリといい匂いついて

マリは冬月から「イスカリオテのマリア」と呼ばれていた。ググるとイエスの足に香油をかけて清めた人物らしい。その後にイエス磔刑にされるので彼女はそれを予見していたと言われている。いい匂いとはつまり死の予言であり、匂いが変わったとはその運命から逃れたことを示しているのだろう。


神木隆之介エヴァの呪縛

劇中最後のシンジの声が神木隆之介になっていた。パンフレットの緒方へのインタビューにも庵野が「14才の心を持ち続けた」緒方に対して感謝を述べたと書かれている。つまり庵野にとって緒方は14才のシンジそのものであり、救世主の運命から逃れて成長することができたシンジはもはや緒方が演じるべきではないとのことなのだろう。庵野エヴァとシンジにさよならをしたのだ。ここは本当に感動的で、パンフを読みながら目頭が熱くなった。


結局ループものだったのか

式波アスカの眼帯は旧劇からの繋がりではなく、第9使徒と融合してしまった身体の使徒化を抑えるために埋め込まれた封印柱を覆うものだった。ここでループ説の芽は無くなったと思ったが、シンジが「今度は〜作り直す」などループを匂わせる発言をしていたのでよくわからない。ただこれは作品世界でのループというよりは、現実世界でエヴァという作品が何回も作り直されているというメタ発言に聞こえた。何も分からなかったシンジが実は一番メタに近づいているのも皮肉な話だ。


残った謎について

考察は出てくるだろうが、自分はもうかなり満足というか納得してしまった。コミック版も納得があったが、やはり庵野が終わらせたというのがとても大きかった。


最後にシンジを見なかったレイ

劇中の最後にシンジがいる場所と反対側のホームにレイとカヲルが佇んでいた。その時レイはシンジではなくカオルの方を向いていた。TV版エヴァの第一話からシンジはずっとレイの幻影を見ていた。そのレイはいつもシンジを見つめていたが、今回はシンジを見ていない。つまりエヴァという物語が終わった事で彼らもシンジと親密になり目の前で死ぬという運命から解放されたのだ。レイはシンジに本当のさよならが出来たのだ。ここも感動的だった。